コルビジェが「最高のデザイン」と絶賛したトーネットの椅子
ル・コルビジェ、ピエール・ジャンヌレ、シャルロット・ペリアンの3人が開発した「LCシリーズ」のスチールパイプ家具は、近代建築にふさわしい最先端のオリジナルデザインとしてあまりにも有名です。しかし、コルビジェが手がけた初期の代表作である「ラ・ロッシュ邸(1923年)」や、モダニズムの最高峰「サヴォア邸(1931年)」の当時の内部写真を詳細に見ると、リビングやサロンの特等席に、スチール製ではない「木製のクラシックな丸みを帯びたアームチェア」がごく自然に配置されていることに驚かされます。その椅子は、ドイツ・オーストリアの家具メーカー「トーネット(Thonet)」社の曲木(ベントウッド)椅子でした。コルビジェは、他人がデザインしたこの木製既製品チェアをこよなく愛し、自身の建築空間を構成する不可欠な要素として絶賛していたのです。
歴史上最初の「大量生産デザイン」であるトーネット曲木椅子の誕生
コルビジェがこれほどまでに惚れ込んだトーネットの曲木椅子は、19世紀中頃にドイツ人デザイナーのミヒャエル・トーネット(Michael Thonet)が開発した技術から生まれました。彼は、無垢のブナ材(ビーチ材)を高圧の蒸気で蒸して柔らかくし、鉄の型に沿わせて美しく湾曲させる「曲木(ベントウッド)」の技術を確立し、世界で初めて家具の「本格的な大量生産・ノックダウン(分解輸送)方式」を実現しました。これにより、それまでの手彫りの重厚で高価な彫刻椅子とは異なり、極限まで無駄な木材を削ぎ落とした、軽くて頑丈で美しい椅子が安価に一般大衆へと普及しました。この「機能的で無駄がなく、工業的に量産可能である」というトーネットの製品思想こそが、のちのコルビジェらの提唱するモダニズムの理念そのものであったのです。
ラ・ロッシュ邸やサヴォア邸で主役を張った「No.209」アームチェア
コルビジェが自作の住宅建築や、1925年のアールデコ博覧会「エスプリ・ヌーヴォー館」などで最も多用したのが、トーネット社の「No.209(またはNo.209アームチェア)」です。この椅子は、背もたれからアーム(肘掛け)にかけて、たった1本のブナ材の曲木を美しくU字型に湾曲させて作られた、驚異的なミニマル構造を持っています。コルビジェは、「これほどまでにエレガントで、これほどまでに無駄がなく、かつ機能的で座り心地の良い椅子は、他には存在しない。トーネットの椅子こそが、近代デザインが目指すべき究極の手本である」と自著の中で大絶賛しました。彼は、No.209の丸みのある美しい有機的フレームが、人間が座ったときの背中や肘を最も自然なカーブで優しくサポートする点にも着目していました。
スチールパイプという冷たい金属と、木製の温かい曲線の対比美
なぜ、直線的で幾何学的なコルビジェのコンクリート建築や、シャープなガラスの空間に、このトーネットの木製曲木椅子がこれほど美しく調和するのでしょうか。その理由は、素材とラインの「絶妙な対比(コントラスト)」にあります。部屋の壁面やサッシの厳格な「直線のグリッド」の中に、トーネットNo.209の持つ流れるような「曲線のライン」が加わることで、空間の緊張感が緩やかに解きほぐされ、心地よい人間の温もりが生まれます。また、スチールパイプ家具の放つ都会的な「金属の冷たさ」に対し、ブナ材の持つ「木の柔らかい質感」とラタン(籐)張りの座面の「軽やかさ」が対置されることで、室内のインテリアデザインに豊かなテクスチャーの対比と心地よい安らぎがもたらされるのです。
現代のモダンインテリアにおけるトーネットの椅子のコーディネート術
現代の住まいにおいて、トーネットの椅子(特にカッシーナやドイツ・トーネット社で現在も継続製造されている正規品No.209やNo.214)は、モダンとクラシックを融合させる「名脇役」として抜群のコーディネート力を発揮します。例えば、ガラス天板のLC6やLC10テーブルの周りに、あえてブラック塗装のトーネットNo.209アームチェアを並べることで、洗練されたインダストリアル&オーガニックなスタイリッシュ空間を作ることができます。また、白を基調としたミニマルなインテリアの中にポツンと1脚置くだけでも、その彫刻的な木製ラインが絵画のように空間を演出し、時の試練に耐え抜いた本物のデザインだけが持つ圧倒的な説得力を日々楽しむことができるでしょう。