ル・コルビジェの影の主役:ピエール・ジャンヌレという天才
近年、世界中のインテリア誌やSNS、さらには一流のアートコレクターの自邸において、V字型の印象的な木製脚とラタン(籐)の背座を持つ美しい椅子を頻繁に見かけるようになりました。その椅子の名は「イージーチェア(Easy Chair)」。デザインしたのは、近代建築の巨匠ル・コルビジェの従兄弟であり、生涯にわたって彼を支え続けたスイスの建築家・デザイナー、ピエール・ジャンヌレ(Pierre Jeanneret)です。ジャンヌレは、コルビジェの事務所のチーフとして、かの「サヴォア邸」や「LCシリーズ」家具の設計実務を取り仕切った超実力派でありながら、常に一歩引いて巨匠の影に隠れていました。しかし、1950年代のインドでのある巨大プロジェクトをきっかけに、彼は自身の作家性を爆発させ、現代のデザイン界を揺るがす偉大な家具コレクションを完成させることになります。
チャンディーガル都市計画から生まれた「地産地消」の家具デザイン
1951年、インドの初代首相ネールは、独立インドの象徴となる新しい州都「チャンディーガル(Chandigarh)」の都市計画をル・コルビジェに依頼しました。コルビジェは従兄弟であるピエール・ジャンヌレを誘い、ジャンヌレはその後、現地に15年間も移住して行政官庁や大学、住宅などの設計実務を指揮しました。その際、建物内部で使用する膨大なオフィス家具や家庭用家具の設計が必要となりました。ジャンヌレは、ヨーロッパから高価な金属素材を輸入するのではなく、インドの厳しい熱帯気候(高湿度と酷暑)に耐えうる「現地調和型(地産地消)」の家具を考案しました。彼は、現地の職人たちが昔から使い慣れていた堅牢な「チーク材」と、風通しが良く涼しい「ラタン(籐)」を採用し、極めて合理でありながらもインドの風土に寄り添う温かい家具群をデザインしたのです。
チーク無垢材とラタン(籐)が紡ぐ、手仕事のぬくもりと幾何学
ジャンヌレが設計したイージーチェアの最大の魅力は、彫刻的な「幾何学フォルム」と、職人の「手仕事のぬくもり」の完璧な融合にあります。特にアームから脚部にかけて斜めに伸びる太い「V字型のフレーム(コンパスレッグ)」は、構造的な安定感をもたらすだけでなく、空間に美しい直線のリズムを与えています。また、背もたれと座面に施された細やかなラタンの手編みは、手作業ならではの微細な歪みや優しさを内包し、冷淡になりがちなモダニズムデザインに有機的な温もりをプラスしています。現地のチーク無垢材は非常に硬く、時間の経過とともに油分が表面に浮き出てきて深い飴色へと変色するため、使うほどにビンテージならではの重厚な品格を増していくのが特徴です。
現代のインテリアシーンにおけるジャンヌレ家具の爆発的ブーム
1980年代以降、チャンディーガル都市の近代化に伴い、ジャンヌレが設計したこれらの木製家具は「古びた事務用品」として一度は大量に廃棄され、現地のジャンクショップや大学のゴミ置き場に放置されていました。しかし、1990年代後半にヨーロッパのギャラリストたちがその美術的価値を発見し、修復してオークションにかけたことで状況は一変しました。そのプリミティブで彫刻的な佇まいは、現代のミニマルなアートスペースや洗練された高級リビングに置いた際に圧倒的なインテリア効果を発揮するため、海外のセレブリティやインテリアデザイナーたちの間で争奪戦が始まり、現在ではヴィンテージのオリジナル品が数百万円で取引される「コレクターズ・アイテム」として爆発的なブームを巻き起こしています。
本物(ヴィンテージ・復刻版)と安価なレプリカの選び方
ジャンヌレの家具の人気に伴い、現在市場にはオリジナルを模した安価な海外製のコピー品(レプリカ)が大量に出回っています。しかし、本物のジャンヌレ家具が持つチーク無垢材の重厚感や、職人のカンナがけ跡、そして手編みラタンの弾力性は、量産されたコピー品では決して再現できません。現在、本物を手に入れる方法としては、信頼できるビンテージギャラリーで修復されたオリジナル品を購入するか、あるいはカッシーナ(Cassina)社がコルビジェ財団およびジャンヌレの遺族と共同で復刻した正規のオフィシャルライセンス製品「Hommage a Pierre Jeanneret」コレクションを選択するのが推奨されます。リビングの片隅に本物のイージーチェアを1脚置くだけで、そこは歴史と手仕事の温もりが漂う、洗練された知的空間へと生まれ変わるでしょう。