モナコ出身の美しいファッションモデルとの情熱的な出会い
近代建築の父として、常に世界中に向けて「合理的で機能的な近代生活」を啓蒙し続けたル・コルビジェ。しかし、プライベートにおける彼の夫婦生活は、世間のイメージする「合理的で冷徹な建築家」の姿からは想像もつかないほど、情熱的で、ユーモラスで、人間味あふれる愛に満ちていました。彼が生涯溺愛し、恐れ、そしてひれ伏した唯一の女性。それが、モナコ出身の元ファッションモデルであった妻、イヴォンヌ・ガリ(Yvonne Gallis)でした。彼女は建築やデザインといった小難しいインテリジェントな議論には全く関心を持たず、コルビジェの描く高名な抽象絵画を「単なるガラクタ」と呼び、巨匠のプライドを良い意味で日々打ち砕き続けた自由奔放な女性でした。
「私の家はまるで病院のようだ」:建築家の夫の設計を笑い飛ばした妻
1920年代前半のパリで出会った二人は、長い同棲生活を経て1930年に正式に結婚しました。コルビジェはパリの自邸アパートの内装を設計する際、最新のモダニズム理論を適用し、コンクリートの打ち放し壁にガラスブロック、鉄パイプの家具を配置しました。しかし、この前衛的な部屋を見たイヴォンヌは顔をしかめ、「なんて寒々しい部屋かしら。まるで病院か監獄のようだわ」と一蹴しました。彼女は夫の制止を無視して、金属のテーブルの上にカラフルな手刺繍のテーブルクロスを敷き、クラシックな木の椅子を置き、お気に入りのアンティーク小物を飾り立てました。コルビジェは苦笑いしながらも、彼女のこの野生的な美意識と自由さを深く愛し、彼女の前では「偉大な建築家」の鎧を脱ぎ捨てていました。
偉大な巨匠ではなく、一人の「不器用な男」として夫を愛し抜いたイヴォンヌ
イヴォンヌにとって、夫は世界的に有名な「天才ル・コルビジェ」ではなく、ただの「不器用で几帳面すぎる愛しい男(シャルル)」にすぎませんでした。彼女は夫が仕事のプレッシャーや周囲のバッシングでひどく落ち込んでいるとき、お気に入りの料理(南仏の家庭料理)を振る舞い、持ち前の明るいおしゃべりと笑い声で、夫の心の曇りを一瞬で吹き飛ばしました。コルビジェは、毎朝アトリエで描き上げた最新の油絵をまずイヴォンヌに見せ、「どうだい?」と子供のように意見を求めました。彼女が「何これ、さっぱり分からないわ」と笑い飛ばすと、彼は文句を言いながらも、彼女の素直で嘘のない反応を最も信頼していたと言われています。
南仏カバノン(休暇小屋):最愛の妻に捧げられた、4坪の「愛の空間」
コルビジェが晩年に設計した、世界遺産にもなっている南仏カップ・マルタンの「カバノン(休暇小屋)」は、本質的には「イヴォンヌへの究極のラブレター(愛の空間)」として建設されました。わずか4坪(約14平方メートル)のこの丸太小屋は、イヴォンヌが「夫の難しいコンクリートの白い別荘に住むのは絶対に嫌」と主張したため、彼女が落ち着いて暮らせる素朴な木製の居住空間として設計されました。コルビジェは、彼女の誕生日プレゼントとしてこの小屋を贈り、毎年夏の休暇を、この極小の空間で二人きりで仲良く過ごしました。海を眺め、イヴォンヌが料理を作り、コルビジェが全裸で泳ぐ。それは、世界一高名な建築家夫妻の、最もピュアで贅沢な野生のユートピアでした。
イヴォンヌの死と、傷心のコルビジェが迎えた最後の旅立ち
1957年、最愛のイヴォンヌが病気により先立ってしまったとき、コルビジェの受けた衝撃と悲しみは深く、文字通り身を切られるようなものでした。彼は彼女の葬儀の後、愛用のスケッチブックに彼女の顔を何度も何度も涙ながらに描き続け、彼女の遺灰を自分の手でカバノンの見える丘に埋葬しました。イヴォンヌを失った後のコルビジェは、急速に老け込み、抜け殻のようになっていきました。彼女の死から8年後の1965年、彼はイヴォンヌと過ごした思い出の詰まったカバノンの目の前の地中海で泳いでいる最中に、心臓発作を起こし、そのまま静かに帰らぬ人となりました。巨匠の最後の死場所は、最愛の女性が待つ海の彼方だったのです。